【追悼】校長・松岡正剛 石のざわめきを聞く

2024/09/06(金)08:05 img
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 透き通っているのに底の見えない碧い湖みたいだ―30[守]の感門之盟ではじめて会った松岡正剛の瞳は、ユングの元型にいう「オールド・ワイズ・マン」そのものだった。幼いころに見た印象のままに「ポム爺さんみたい」と矢萩師範代と教室の仲間につたない感想を漏らしてしまった。ポム爺さんは宮崎駿監督の『天空の城ラピュタ』に登場する、石の声を聞きながら鉱山の坑道に暮らしているおじいさんだ。のちに見直してみると校長ほどの深さ静けさはなかったが。

 

 よく似た目と目の対峙を、この春草月ホールで見た。『近江ARS TOKYO』の最後にサプライズで樂直入さんが登壇された。4時間以上にわたった境をゆききするような舞台を締めくくる校長にぐっと近づいて、その瞳を覗き込むようにしながら、樂さんは言葉を紡いでいた。500人が見守る対話でありながら、どきっとするほどプライベートで、重力のない空間に誘い込まれたようだった。

 

 その日打ち上げの店を出て、深夜の赤坂見附の路上で迎えの車を待っている時、「樂さんの時間、よかったよね」と校長が言った。「校長のことをじいっと見つめてお話しされてましたね」とつい樂さんと同じような姿勢になってしまった。自分に残された時間を常に念頭に置いている様子の校長に、「どうか校長がしたいことが全部できますように」とわたしがそれを見たいがために思った。けれど、校長の胸にあったのは「自分がしたいこと」などといった人間ひとり分のところで終わるようなものではなく、相対した人にどんな編集契機を渡していくか、だけだったように感じた。

 松岡正剛という静かな山の中に情報の歴史を編んできた先達につながる鉱脈があり、校長は石を愛してそのざわめきを聞いていた。そして会った人にはその人の声に応じて、坑道のあちこちから響きを返した。『別日本で、いい。』の扉に「一期は百会。」とあるように、校長に相対する時間の中には百様以上の別ヴァージョンが潜んでいた。

 

 「ヨーロッパには中世から『鉱山幻想』というものがあって、地中に眠る幾多の幻想に作家や詩人たちの想像力をかきたてていた。」と千夜千冊1044夜『鉱物学』に綴られている。こうして目の前の坑道に言葉のつるはしを振るい、校長の面影を掘り出そうとしても、刃を当てなかったところが気にかかってくる。見い出せていない幻想が、選ばなかった別様が、書いたそばから分かれ道のように現れる。

 入門してからこれまで、幾度も「面影」という言葉を聞き、わかったように使ってきたけれど、宇宙のような洞窟の中から面影を彫り出そうとすることは、こんなにも心もとなく、不可能性に満ちたものだったのですね。そして、だからこそ恋しくなつかしい。

 できないからといってつるはしを投げ出すような怠惰は校長に一喝されるだろう。喝のこだまする洞窟を、先人たちのざわめきと今あるみなさんの槌音を聞きながら、残された時間だけ掘り進めていく。眩暈のするような鉱脈の地図が手渡されているのだから。

 

 

イシス編集学校

みちのく吉里吉里教室 師範代 林愛

  • 林 愛

    編集的先達:山田詠美。日本語教師として香港に滞在経験もあるエディストライター。いまは主婦として、1歳の娘を編集工学的に観察することが日課になっている。千離衆、未知奥連所属。

コメント

1~3件/3件

堀江純一

2025-10-02

何の前触れもなく突如、虚空に出現する「月人」たち。その姿は涅槃来迎図を思わせるが、その振る舞いは破壊神そのもの。不定期に現れる、この”使徒襲来”に立ち向かうのは28体の宝石たち…。
『虫と歌』『25時のバカンス』などで目利きのマンガ読みたちをうならせた市川春子が王道バトルもの(?)を描いてみたら、とんでもないことになってしまった!
作者自らが手掛けたホログラム装丁があまりにも美しい。写真ではちょっとわかりにくいか。ぜひ現物を手に取ってほしい。
(市川春子『宝石の国』講談社)

川邊透

2025-09-30

♀を巡って壮絶バトルを繰り広げるオンブバッタの♂たち。♀のほうは淡々と、リングのマットに成りきっている。
日を追うごとに活気づく昆虫たちの秋季興行は、今この瞬間にも、あらゆる片隅で無数に決行されている。

若林牧子

2025-09-24

初恋はレモンの味と言われるが、パッションフルーツほど魅惑の芳香と酸味は他にはない(と思っている)。極上の恋の味かも。「情熱」的なフルーツだと思いきや、トケイソウの仲間なのに十字架を背負った果物なのだ。謎めきは果肉の構造にも味わいにも現れる。杏仁豆腐の素を果皮に流し込んで果肉をソース代わりに。激旨だ。