54[破]第2回アリスとテレス賞大賞作品発表!アリストテレス大賞 高橋杏奈さん

2025/08/30(土)18:18
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物語編集術は[破]の華である。実際、物語を書いてみたいから、と[守]から進破する理由に挙げる学衆は多い。だが、人気があるという理由だけでは華とは呼べない。

物語編集術は、「スター・ウォーズ」「ミッションインポッシブル」といった課題映画の中から一作を選び、その作品のキャラクターやストーリーを読みとる。さらに、時代を取り替えたり、主人公の性格や属性を読み替えたりして「翻案」し、新しい物語をつくる。1カ月に及ぶ稽古の末に生まれる物語は、種から発芽し風雨を耐え忍び、光合成と呼吸を繰り返した先に開く一輪の華のごとくである。そこに、師範代の指南によって学衆の中に潜む数寄や葛藤、切実やメッセージが引き出され相転移が起きたとき、自分にしか書きえなかったであろう破格の華が開くのである。

 

8月3日に突破日を迎え幕を閉じた54[破]では、5本の映画から53もの華が開いた。商店街のラジオ体操という日常世界での小学生の大冒険、動乱の18世紀末フランス革命期を革装の手帳が語る結構の幻想ファンタジー、江戸時代に始まる伊勢湾干拓という人間の営みの奥にありえたであろうドラマ……。

 

これから紹介するのは高橋杏奈さん(カオスの縁子さん教室)のアリストテレス大賞作品。映画『エイリアン』を翻案し、どんな大輪を咲させたのか。選評委員による講評とともに、とくとご覧あれ。

 


 54[破]≪アリスとテレス賞≫「物語編集術」


【アリストテレス賞:大賞】

 

■高橋杏奈(カオスの縁子さん教室)

『故郷を見つめて』

原作:エイリアン

 

 

第一章:栄光の曝露

 

 故郷は遥か東。1850年、フランクリン遠征調査の命を受けた一隻が、キングウィリアムランドの近くを漂っていた。5年前に北西航路発見を目指した遠征隊が行方不明となった、その原因追及のための国の威信をかけた航海であった。甲板に立つ若き航海士リチャードの頬を鋭い寒風が切り裂く。生まれは工場労働者の息子だが士官学校でその才覚を現し、帝国の使命をその胸に抱いた青年だ。船内では、冬の閉塞感と配給の乏しさに、計8人の乗組員たちの心が軋んでいた。陽気な航海士のトーマスでさえ、苛立ちを隠さず「焼いた肉が食べたいな、リチャード」とこぼした。「これより我々は上陸し、原住民からの情報収集にあたる」艦長フレデリックの声を聞いて、計画変更をリチャードは不思議に思った。「まともなものにありつけるかもな」とトーマスが耳打ちする。船の惨状を思うと沿海調査だけでなく上陸もやむなしである。海氷を慎重に回避して上陸した。ツンドラと石灰岩、そして氷。トーマスは言葉の壁をものともせず、原住民と火を囲み交わった。彼らは帝国産の缶詰が漂着していたことを教えた。フランクリンの船はこの近郊で沈没したようだ。調査の成果としては十分だった。帰路の食料を補給するべく、原住民に交渉したが、この土地には分けるほどの食料はない。代わりに長老が差し出したのは、寒冷地にのみ育つという苔──儀礼の核を担う薬だった。苔を乾燥させたものを火にくべると細く煙が立ち上った。好奇心に駆られたトーマスがそれに近づき吸い込むと、たちまち高揚と陶酔に包まれ、長き航海の疲労が消え去った。その多幸感に満ちた表情は、どこか虚でもあり、リチャードを不安にさせた。「フレデリック艦長、これは帰路で役立ちます」というトーマス。リチャードは持ち込みに反対したが、医師のセオドアが賛成の意を示し、フレデリックもそれを認め、帰郷のために出航した。

 

 

第二章:欲動の感作

 

 薬は徐々に、艦内に静かに広がり始めた。最初は少量だったが、やがて水夫たちの手で加速し、船の秩序は徐々に崩壊の兆しを見せた。機関室の隅で薬を吸う男たちを見て、機関士アーサーは不機嫌に「禁煙中だ、俺ァな」と言い放ち、深く帽子を被り直した。リチャードはこの異様さを不安に思っていた。トーマスは薬を吸って以降、眠らず、食わず、瞳の奥にかつての彼の温かさはなかった。リチャードが医務室でセオドアに直訴するも、彼は冷たく「医者は私だ」と返し、ただ乗員たちの変容を記録し続けていた。やがてトーマスは泡を吹いて絶命した。薬の凶悪さが露わになり、船員たちも恐怖したが、依存に侵された彼らはやめられなかった。フレデリックの禁令も無力だった。そして彼自身も、陰ではその使用を理性で止めることができなくなっており、艦長室にて冷たくなって発見された。リチャードは彼らの遺体を暗い海に投げ込む。闇に吸い込まれていくそれを見て、疑念と焦りが彼の心を渦巻いていた。

 

 

第三章:中枢の覚醒

 

 リチャードは打開策を求めてセオドアが不在の医務室に忍び込んだ。重々しい書架を漁ると『異国の神秘』『儀礼と神懸かり』など、医務室に似合わない本の中から帝国支給の教範の古い版を見つけた。それを開いたとき、一枚の手紙が彼の目に留まった。『エラバス号及びテラー号捜索遠征の目的は、極北先住民の儀礼薬草による精神状態の変容過程の記録にあり。船員を被験者とし十分な記録を残すこと。目的のため食料配給に制限を施す。食欲減退、休息の削減…』それは、すべてが計画されていた証だった。セオドアはただの軍医ではなく、帝国の特命を受けて「人間を越える力」を研究していた。戻ってきたセオドアは、リチャードの手にあるメモを見ると、淡々と語った。「これは人類の夢なんだ」「それがあの惨状の理由か?」とリチャードは怒りを抑えた声で返す。突然セオドアはリチャードに小型のナイフを向け、その刃は防御しようとしたリチャードの左前腕を傷つけた。リチャードはバランスを崩して転倒した。そのまま二人は揉み合いになる。騒動を聞きつけてそこにアーサーが飛び込んだ。「離れろ、このクソ野郎!」彼のスパナがセオドアの頭部を打ち抜いた。血が床に音を立てて広がる。セオドアは、静かに絶命した。アーサーとリチャードは、無言でメモを見つめていた。あの薬なら自分を助けてくれるかもしれないとリチャードは揺らいだ。誇り高い帝国はどこにあるのだろう。一度芽生えた闘志は嘘でない。

 

 

第四章:名誉の逸脱

 

 薬に蝕まれた乗組員たちは、理性の枷を完全に失っていた。船員に事態を共有するべく向かった石炭貯蔵庫でアーサーは一人の水夫に襲われる。凄まじい力で暴れる男と、鉄パイプで応戦するリチャードとアーサー。「目を覚ませ!」という叫びと共に、血飛沫が吹き上がる。アーサーは意図せず男の胸にパイプを突き刺した。二人は肩で息をしながら、沈黙を迎えた室内を見回した。船員の一人が座っているのを見つけたが、その彼も死亡していた。リチャードは彼のこけた頬と目の下の隈をなぞり、その瞼をおろした。二人はこの異様な船からの脱出と、薬を封じ込めるために遺体を載せた船を降りることを決意した。小型船の整備を進め、まだ生き残っている船員との脱出を計画した。しかし、準備の最中、その彼も痙攣を起こし、泡を吹いて死亡。「そんなにこの煙がいいのかよ」と幾重もの罪悪感と孤独感に苛まれたアーサー。リチャードは彼と自分を慰める言葉も持っていなかった。アーサーはリチャードが目を離した隙に甲板に出て行方不明となった。アーサーの帽子だけが残る。リチャードはたった一人になった。しかし、彼は己の意志を忘れてはいない。汚染された船が国に戻れば、国民が混沌に包まれてしまう。暗い世界にこれ以上誰かが吸い込まれるのは嫌だった。疲労のせいか彼の体はふらつく。彼は遺体と薬を載せた本船を手放した。このまま沈むだろう。小型船には最低限の装備のみである。

 

 

第五章:統合の断裂

 

 小型艇で凍る北極海を漂いながら、リチャードは艦と共に薬が上陸することを防いだ。唯一の生存者だ。帝国への報告として記録日誌に「乗組員7名、原因不明の精神変調により死亡」と記す指は震えていた。使命から逸れた真実は記さない。左腕の傷が痛む。指先はすでに冷たく、紫色に変色していた。教範の知識しかない彼だが、寒さですでに壊死が始まっていることを理解した。解体用ロープで上腕をきつく巻き、その一端を力強く咥えた。歯の根は合わず、ガチガチと音が鳴る。再び帝国に戻ることができるかどうかはわからない。小さな空き缶に脂を注ぎ、帆布をねじって火を灯した。彼は震える手で工具箱から釘打ち用の斧と古びたノミを取り出す。ゴリッ。最初の一撃は鈍く温かい血が飛び散る。「この血は俺のものだ」。激痛で喉が焼けるようだった。波、甲板の軋み、そして自分の荒い呼吸の音だけが耳に響く。力を込め、斧頭を叩く。パキッ。小さな音がして、骨にひびが入った。意識が遠のく。「この痛みは俺のものだ」。何度も、何度も叩きつけた。八撃目。骨が砕けた。皮膚と腱だけがまだ彼の体にしがみついていた。彼は短く叫び、ノミを咥え、右手でナイフを引き抜くと、腱を切った。船が大きく傾いたとき、ぼたりとそれが落ちた。鉄ノミを熱し、残された肩を焼いた。焦げた肉の匂いが立ち昇る。海の上に、煙がひとすじ上がった。彼は拾い上げたものを抱きしめ、ゆっくりと目を閉じた。

 

 

 

◆講評◆
 2隻の調査船、隊員129名が全滅した悲惨な史実フランクリン遠征をもとに、彼らの捜索に向かった船が遭遇した事件を描いた物語です。高橋さんは、舞台を宇宙から、地球上の辺境である北極圏に移し、エイリアンの物語マザーを丁寧に翻案することで「人間を超える力」を読み手に問う物語を創り上げました。映画が描くのは未知の生物に寄生される恐怖ですが、高橋さんの物語が描いたのは、依存することがもたらす恐怖です。快楽を与える習慣性のある苔に依存し、次々と絶命する機関士トーマスたち。帝国の特命のため、隊員で生体実験を行う医師セオドア。そして、孤独に耐えきれず自らの命を断つアーサー。極限状態が暴くのは、生きるために人は自分を超える何かに頼り、依存せざるを得ないということ。このことが印象的なシーンから見事に浮かび上がります。大英帝国の誇りで自らを律する主人公リチャードが、壊死した自分の腕を切り落とす凄惨なシーンも、母国のために生きることの凄まじさを伝えます。何ものかに頼る意思は、時に人間らしさを超える怖ろしいものを私たちにもたらすのでしょう。「栄光の曝露」から「統合の断裂」に至る各章のタイトルも人間らしく生きることに、相反するものをはらんでいることを示しています。端正な翻案と極限状態に置かれた人間の描写で、生きることへの恐れを実感させる高橋さんの物語にアリストテレス大賞を贈ります。

講評=評匠:北原ひでお

 

54[破]第2回アリスとテレス賞大賞作品発表!
アリストテレス大賞 高橋杏奈さん
アリス大賞 Coming soon
テレス大賞 Coming soon

  • 白川雅敏

    編集的先達:柴田元幸。イシス砂漠を~はぁるばぁると白川らくだがゆきました~ 家族から「あなたはらくだよ」と言われ、自身を「らくだ」に戯画化し、渾名が定着。編集ロードをキャメル、ダンドリ番長。

コメント

1~3件/3件

堀江純一

2025-10-02

何の前触れもなく突如、虚空に出現する「月人」たち。その姿は涅槃来迎図を思わせるが、その振る舞いは破壊神そのもの。不定期に現れる、この”使徒襲来”に立ち向かうのは28体の宝石たち…。
『虫と歌』『25時のバカンス』などで目利きのマンガ読みたちをうならせた市川春子が王道バトルもの(?)を描いてみたら、とんでもないことになってしまった!
作者自らが手掛けたホログラム装丁があまりにも美しい。写真ではちょっとわかりにくいか。ぜひ現物を手に取ってほしい。
(市川春子『宝石の国』講談社)

川邊透

2025-09-30

♀を巡って壮絶バトルを繰り広げるオンブバッタの♂たち。♀のほうは淡々と、リングのマットに成りきっている。
日を追うごとに活気づく昆虫たちの秋季興行は、今この瞬間にも、あらゆる片隅で無数に決行されている。

若林牧子

2025-09-24

初恋はレモンの味と言われるが、パッションフルーツほど魅惑の芳香と酸味は他にはない(と思っている)。極上の恋の味かも。「情熱」的なフルーツだと思いきや、トケイソウの仲間なのに十字架を背負った果物なのだ。謎めきは果肉の構造にも味わいにも現れる。杏仁豆腐の素を果皮に流し込んで果肉をソース代わりに。激旨だ。