何の前触れもなく突如、虚空に出現する「月人」たち。その姿は涅槃来迎図を思わせるが、その振る舞いは破壊神そのもの。不定期に現れる、この”使徒襲来”に立ち向かうのは28体の宝石たち…。
『虫と歌』『25時のバカンス』などで目利きのマンガ読みたちをうならせた市川春子が王道バトルもの(?)を描いてみたら、とんでもないことになってしまった!
作者自らが手掛けたホログラム装丁があまりにも美しい。写真ではちょっとわかりにくいか。ぜひ現物を手に取ってほしい。
(市川春子『宝石の国』講談社)

数寄を、いや「好き」を追いかけ、多読で楽しむ「大河ばっか!」は、大河ドラマの世界を編集工学の視点で楽しむためのクラブです。
ナビゲーターを務めるのは、筆司(ひつじ)こと宮前鉄也と相部礼子。この二人がなぜこのクラブを立ち上げたのか? それは、物語好きな筆司たちが、過去の大河ドラマを編集工学の型によって紐解き、その魅力を分かち合いたいという思いからです。
節分が2月2日になるのは4年ぶり。その節分の日に放映された第5回は、「福内鬼外」こと平賀源内先生が大活躍の回となりました。
第5回「蔦に唐丸因果の蔓」
◆語られる限り、夢は次の世へ流れていくもの◆
夢ってぇのは、ふしぎなもんだよ。「夢がある」と言やぁ前向きな響きがするのに、「夢物語」となると、途端に後ろ向きに聞こえちまう。
たしかに、世の中はそう甘くはない。夢は朝露みてぇなもんさ。日が昇りゃすうっと消えちまうし、指先で掬おうとすりゃ、ぽたりと落ちてしまう。そんな儚ぇものを語ったところで、無駄な話だって?でもねぇ、本当にそうかねぇ?夢を語ることが、そんなに無意味なことかい?夢ってのは、ただ口にしただけじゃ終わらねぇ。語る者がいて、聞く者がいて、拾う者がいりゃあ、いつかそれは「もし」に変わって、新しい現実になるかもしれねぇ。
だからこそ、夢は語り続けることが肝心なのさ。夢がついえちまっても、誰かがそれを語り続ける限り、それは物語として生き続ける。物語になっちまえば、それは誰かの胸に残り、やがて次の世へとつながっていくのさ。夢は消えたときが終わりじゃない。夢が語られた瞬間、次の物語が始まるんだよ。
◆刹那の輝き、そして儚く散った夢◆
秩父で鉄の精錬を試みた平賀源内は、火事を起こし、大損害を出しちまった。借金を背負い、金を返せと迫られ、今度は炭の商売に乗り出そうってんだから、まったくもって、しぶとい男さね。
そんな源内に、蔦屋重三郎(蔦重)がぽつりと漏らした。「儲け話を考えて、人を集めて、金を集めて、一々大変なのでは?」すると、源内は笑いながら言ったのさ。
「自由に生きるってなぁ、そういうもんでさ。自らの思いによってのみ、わが心のままに生きる、わがままに生きるということを自由に生きるっていうのよ。」
なるほどねぇ、夢を見る自由ってのは、こういうことを言うのかもしれないねぇ。人が思うように生きるには、世間のしがらみや掟を越えなきゃならねぇ。けれど、源内先生はそれをものともせず、まるで蔦のように、どんな障害があろうともするすると絡まり、手を伸ばせる先へと伸び続けるのさ。けんどねぇ、自由を貫くにも、夢を追うにも、まずは金がいるのさ。そこで源内は田沼意次のもとを訪ね、こう言い放った。
「開国しようじゃありませんか」
異国と交易すりゃあ、幕府の堅物どもも「ものの値打ち」ってもんを知ることになる。この国じゃ、武士だの家柄だので人の価値が決まっちまうが、外国じゃそうはいかねぇ。ものの値打ちを決めるのは金銀銅、そして知恵と才覚。
「やつら(異人)が取り引きしてくれるのは(米ではなくて)金銀銅。人の値打ちだってそう。おりゃ、先祖が偉いんだってまくしたてても通じませんし、通じたところで、『は、それで?』って話でしょ。」
これが、開国すれば世の中が変わる、って話につながるわけさ。言葉を覚えた幇間(ほうかん)が通詞(通訳)になり、商才のある町人が異国の商人と渡り合い、力のある者が身分に縛られずに生きていける時代が来る。そうなりゃあ、先祖の名だの格式だのじゃなく、「今、何ができるか」で人の価値が決まる世の中になる。力のある者が身分に縛られずに生きていける時代が来る——。そんな未来を、二人は夢見た。
だが、意次はため息をついてこう言った。
「開国すれば、あっという間に属国になるだろう。」
——その一言で、夢は砕けた。手元でふわりと揺れていた灯火が、ひと息で消されちまうように。けれど、そこで終わりかい? いいや、夢ってやつはそう簡単に消えはしないのさ。夢がついえたなら、その続きを考えるのが人間ってもんだ。源内と意次が夢見た開国の物語。それが誰かの耳に届いたとき、こう思うかもしれない。
もし、属国にならずに開国する道があるとしたら……?
この「もし」が生まれた時点で、夢はまだ生きている。そして、それを考え続ける者がいる限り、夢は形を変えながら、次の時代へと受け継がれていく。それは、唐丸の話とおんなじさね。
◆夢が枯れても、語り続けりゃあ、また花が咲く◆
唐丸は、天才的な絵の才能を持っていた。だが、唐丸の過去を知るという浪人に脅され、蔦屋の銭箱に手をつけ、姿を消した。更に悪いことに、その浪人が川で溺死体となって発見された。唐丸は盗人どころか、人殺しの仲間と噂され、名を汚されることになったのさ。
その前夜、蔦重は楽しそうに語っていた。「おめぇを、当代一の絵師にしてやるよ」。けれど、唐丸はどこか遠くを見つめるように微笑んで、静かに言った。「そうなるといいね」——その言葉は、まるで遠い未来へ向かってつぶやかれたもののようだった。
唐丸失踪後、九郎助稲荷で何も知らなかったことに落ち込む蔦重に、花の井はそっと言った。
「真実がわからないなら、できるだけ楽しいことを考える。
それが私たちの流儀だろう?」
そうさ、夢が潰えたなら、新しい夢を紡げばいい。ならば唐丸には、新しい物語を与えてやろうじゃないか。
唐丸は大店の倅だった。後妻に疎まれ家を追われるように出たものの、やがて戻ってきた——けれど稼業に身は入らず、ただ筆を握って、
ひたすら絵を描き続けた——。
これが花の井の見た夢、いや紡いだ物語。
「きっと、唐丸は絵を捨てきれねぇ。いつかまた戻ってくるさ。」
蔦重は、そう言って口元を歪めた。唐丸がどこへ消えようと、噂がどう広がろうと、この江戸に戻ってきたときには——
「そのときは、『謎の絵師』として売り出してやるよ。」
現実の唐丸は消えちまった。だが、それなら新しい唐丸というキャラクターを仕立てて、語ればいい。盗人でも、人殺しの仲間でもなく、世を忍ぶ「謎の絵師」として、江戸に蘇らせるのさ。夢は一度は砕け散った。けれど語り続ける限り、唐丸は「物語のなかの絵師」として生まれ変わる。
そして、いずれ誰かが「もし、この謎の絵師が本当にいたなら?」と「もし」を語り継げば、唐丸という存在は、ただの噂話ではなく、伝説となって生き続けるのさ。
語られる夢の数だけ、新しい物語が生まれる。夢が生まれるたびに、それを語る者がいて、聞く者がいて、そこからまた、新たな「もし」が生まれる。
もし、田沼意次が開国に踏み切っていたら——
もし、唐丸そのままが絵師として世に出ていたら—
さぁ、あなたも歴史からたくさんの「もし」を集めて、新しい大河を生み出そうじゃないか。物語は、語られるうちは途切れることはない。夢がある限り、大河のように、どこまでも続いていくのさねぇ。
多読アレゴリア2025春「大河ばっか!」
【定員】20名(各クラブごとに定員が異なります。定員になり次第、締め切ります)
【申込】https://shop.eel.co.jp/products/tadoku_allegoria_2025haru
【開講期間】2025年3月3日(月)〜2025年5月25日(日)
【申込締切】2025年2月24日(月)
【受講資格】どなたでも受講できます
【受講費】月額11,000円(税込)
※ クレジット払いのみ
※ 初月度分のみ購入時決済
以後毎月26日に翌月受講料を自動課金
例)2025春申し込みの場合
購入時に2025年3月分を決済
2025年3月26日に2025年4月分、以後継続
・2クラブ目以降は、半額でお申し込みいただけます。
・1クラブ申し込みされた方にはクーポンが発行されますので、そちらをご利用の上、2クラブ目以降をお申し込みください。
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コメント
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2025-10-02
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