世阿弥にまねぶ「かまえ」と「はこび」 松岡校長メッセージ【36[花]入伝式】

2021/10/23(土)23:00 img
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枯れ井戸に寺の境内、川の渡し場。どれも能の舞台である。能では、旅人や僧侶などのワキが登場した後、鏡の間から長い橋懸りを渡って生き霊などのシテがやってくる。異界の者であるシテはみな残念や無念を抱えている。世阿弥は、なぜこのような残念さえも能に持ち込んだのだろうか。

 

【負を編集契機ととらえた世阿弥】

 

10月23日の第36[花]入伝式。花伝所はイシス編集学校の編集エンジンのギアたる編集道の「代」(師範代)を創る唯一の場である。1週間前のガイダンスで身なりを整えた受講者たちは、[破]や[離]から[花]へと乗り換え、入伝式で花伝生へ一気に着替えをし、花伝式目へと持ち変える。

 

舞台となる本楼に向けて、一歩、また一歩と踏みしめつつ松岡校長があらわれる。本棚劇場の中央に立った校長は、「世阿弥」「花伝書」「時分の花」「嵩(かさ)と長(たけ)」といった基本となるコンセプトを連ねていく。

 

「花伝書」とは、世阿弥による日本ならではのトレーニングバイブルであり、言葉や体の曲(くせ)と戦い、本来目指すべきものを示す指南書である。その目指すべき最高の位を世阿弥は「闌位」と名付けた。

 

「闌位」へ向かうために、松岡校長は「かまえ」と「はこび」を大切にしなさい、という。「かまえ」とは自らの中に潜んでいるエロスや死、憎悪などを消さないでが立ち上がるようにすること。「はこび」とは、喜びや悲しみ、惑いなどを消さないこと。

 

このように、世阿弥は負や残念を編集契機ととらえ、稽古の型や複式夢幻能のシステムに取り入れていたのである。編集工学においても幼な心や負も含めて情報として扱い、編集の対象としている。

 

こうした「かまえ」や「はこび」を成す型が、能における「二曲三体」であり、編集学校における編集稽古である。ちなみに二曲とは歌と舞、三体とは老体・女体・軍体のこと。歌舞においては、装束と仮面を身につけメイクアップを施す。

 

松岡校長の入伝式のファッションはゴルチエのダブル。濃いブルーの裏地には漢字があしらわれている。「服装も毎日の天気予報のようなままではいけない。入伝式という舞台に合わせて都度つくりなおすこと」(松岡校長)

 

【「初心忘るべからず」】

 

稽古とは古を考えること。原点に立ち返りながら行うのが稽古である。

 

松岡校長によると、能で用いられる楽器自体が、日々ゼロからコンディションをしていく必要があるという。例えば小鼓は適度な湿度が必要であり、反対に大鼓は素材である皮が乾いていないといい音が出ない、といったように。「初心忘るべからず」とは『大鏡』に残した世阿弥の格言である。

 

編集稽古は日々積み重ねてこそ。花伝生の7週間にわたる編集稽古がいよいよ始まる。

 

【第36期[ISIS花伝所]編集コーチ養成コース 指導陣】

校長:松岡正剛

所長:田中晶子
花目付:深谷もと佳、林朝恵
花伝師範:岩野範昭、吉井優子、岡本悟、中村麻人
錬成師範:美濃越香織、梅澤奈央、蒔田俊介、神尾美由紀、武田英裕、牛山惠子、尾島可奈子、阿久津健

 

  • 上杉公志

    編集的先達:パウル・ヒンデミット。前衛音楽の作編曲家で、感門のBGMも手がける。誠実が服をきたような人柄でMr.Honestyと呼ばれる。イシスを代表する細マッチョでトライアスロン出場を目指す。エディスト編集部メンバー。

コメント

1~3件/3件

堀江純一

2025-10-02

何の前触れもなく突如、虚空に出現する「月人」たち。その姿は涅槃来迎図を思わせるが、その振る舞いは破壊神そのもの。不定期に現れる、この”使徒襲来”に立ち向かうのは28体の宝石たち…。
『虫と歌』『25時のバカンス』などで目利きのマンガ読みたちをうならせた市川春子が王道バトルもの(?)を描いてみたら、とんでもないことになってしまった!
作者自らが手掛けたホログラム装丁があまりにも美しい。写真ではちょっとわかりにくいか。ぜひ現物を手に取ってほしい。
(市川春子『宝石の国』講談社)

川邊透

2025-09-30

♀を巡って壮絶バトルを繰り広げるオンブバッタの♂たち。♀のほうは淡々と、リングのマットに成りきっている。
日を追うごとに活気づく昆虫たちの秋季興行は、今この瞬間にも、あらゆる片隅で無数に決行されている。

若林牧子

2025-09-24

初恋はレモンの味と言われるが、パッションフルーツほど魅惑の芳香と酸味は他にはない(と思っている)。極上の恋の味かも。「情熱」的なフルーツだと思いきや、トケイソウの仲間なのに十字架を背負った果物なのだ。謎めきは果肉の構造にも味わいにも現れる。杏仁豆腐の素を果皮に流し込んで果肉をソース代わりに。激旨だ。