山手線が止まると東海道新幹線弁当が売れる

2019/12/07(土)10:57
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 11月16日、物語講座・蒐譚場へむかう朝。ようやく新幹線「のぞみ」東京行きのシートに落ち着いた松井路代師範代はあることに気がついた。

 さっき京都駅で買ったはずの、「とり松」のバラ寿司弁当が見当たらない。

 鉄分不足を補うために牛肉弁当にすべきか、奈良の経済を活性化するために柿の葉寿司にすべきか、すべての役割を忘れて今この瞬間に食べたいものにするか、高速濃密に3分間悩んで決めたバラ寿司弁当である。
 好物を選んだ興奮でお茶を買うのを忘れ、ホームに上がる直前にもう一度レジに並んだ。支払いの際にお弁当のほうを置き忘れたらしい。
 たまたま山手線が開業以来初めて工事で止まる日で、普段より30分早い近鉄奈良駅発の特急に乗らなければならず、何も口にできないまま家を飛び出してきたのだった。

 しかし、松井師範代は慌てふためいたり、過度に落胆したりはしなかった。娘は実家、息子は夫の家族に託し、三家族を騒がせての蒐譚場行き一泊旅の準備がめまぐるしく、無事、予定の新幹線に乗れただけでも、生きとし生けるもの全てに感謝の念を捧げる境地に達していた。

 ホットのほうじ茶が手許にあるだけいい。ゆっくりとキャップを外し、一口飲み、ほっと息をついた。
 
 車内販売のワゴンは、思いのほか、すぐに来た。
「東海道新幹線弁当お一つですね。1,000円になります」
 京都駅に置き去りにしてしまったバラ寿司弁当に思いを馳せながら会計する。

 すぐに食べるのはもったいない。アイフォンで一つ指南をしてからにしよう。

 送信ボタンを押したのは名古屋を少し過ぎてからだった。カバンにスマホをしまい、おもむろに弁当のふたをあけた。
 深川めし、穴子蒲焼、黒はんぺん、みそかつ、エビフライ。芋、タコ、南瓜の煮物。山手線が止まらなかったら出会わなかった東海道名物のおかずである。
 松井師範代はソースのたっぷりかかったエビフライに箸をのばし、めったにないブランチを楽しみ始めた。

  • 松井 路代

    編集的先達:中島敦。2007年生の長男と独自のホームエデュケーション。オペラ好きの夫、小学生の娘と奈良在住の主婦。離では典離、物語講座では冠綴賞というイシスの二冠王。野望は子ども編集学校と小説家デビュー。

コメント

1~3件/3件

堀江純一

2025-10-02

何の前触れもなく突如、虚空に出現する「月人」たち。その姿は涅槃来迎図を思わせるが、その振る舞いは破壊神そのもの。不定期に現れる、この”使徒襲来”に立ち向かうのは28体の宝石たち…。
『虫と歌』『25時のバカンス』などで目利きのマンガ読みたちをうならせた市川春子が王道バトルもの(?)を描いてみたら、とんでもないことになってしまった!
作者自らが手掛けたホログラム装丁があまりにも美しい。写真ではちょっとわかりにくいか。ぜひ現物を手に取ってほしい。
(市川春子『宝石の国』講談社)

川邊透

2025-09-30

♀を巡って壮絶バトルを繰り広げるオンブバッタの♂たち。♀のほうは淡々と、リングのマットに成りきっている。
日を追うごとに活気づく昆虫たちの秋季興行は、今この瞬間にも、あらゆる片隅で無数に決行されている。

若林牧子

2025-09-24

初恋はレモンの味と言われるが、パッションフルーツほど魅惑の芳香と酸味は他にはない(と思っている)。極上の恋の味かも。「情熱」的なフルーツだと思いきや、トケイソウの仲間なのに十字架を背負った果物なのだ。謎めきは果肉の構造にも味わいにも現れる。杏仁豆腐の素を果皮に流し込んで果肉をソース代わりに。激旨だ。