何の前触れもなく突如、虚空に出現する「月人」たち。その姿は涅槃来迎図を思わせるが、その振る舞いは破壊神そのもの。不定期に現れる、この”使徒襲来”に立ち向かうのは28体の宝石たち…。
『虫と歌』『25時のバカンス』などで目利きのマンガ読みたちをうならせた市川春子が王道バトルもの(?)を描いてみたら、とんでもないことになってしまった!
作者自らが手掛けたホログラム装丁があまりにも美しい。写真ではちょっとわかりにくいか。ぜひ現物を手に取ってほしい。
(市川春子『宝石の国』講談社)

二代目大文字屋市兵衛さんは、父親とは違い、ソフトな人かと思いきや、豹変すると父親が乗り移ったかのようでした(演じ分けている伊藤淳史に拍手)。
大河ドラマを遊び尽くそう、歴史が生んだドラマから、さらに新しい物語を生み出そう。そんな心意気の多読アレゴリアのクラブ「大河ばっか!」を率いるナビゲーターの筆司(ひつじ、と読みます)の宮前鉄也と相部礼子がめぇめぇと今週のみどころをお届けします。
第23回「我こそは江戸一利者なり」
おりゃあ、おめえに日本橋に出てもらいてぇ
須原屋さんの一言が蔦重が日本橋出店を決意する大きな後押しになったに違いありません。
吉原で本を売っているかぎり、つまりは江戸の外に本が出回らないかぎりはスポンサーたちからも見放される。どんなにみなが欲しがる本を作り、売り、版元として引っ張りだこで、利者(=切れ者、人気のある人)と呼ばれたとしても。松葉屋の女将・いねさんがマネージャーのようにスケジュール管理するほどになったとしても。
地方の本屋が欲しがるのは「日本橋の本屋が売っている本」。それこそが一流の証ということなのです。
しかし、日本橋に店を出すということは、吉原を捨てるも同然。亡八衆の親父様方が許すわけもない。
そこで須原屋さんの一言です。蔦重が、吉原にしがらみもあって、日本橋に店を出すなんてとてもとても…というと、須原屋さんは真顔で
「おりゃあ、おめえに日本橋に出てもらいてぇ」
と言います。その後、ふっと表情を緩め「あの、源内さんのためにもよ」と続けます。須原屋さんとは反対に源内の名を聞いた蔦重が姿勢を正し、まっすぐに須原屋さんを見つめた、その表情にかぶせるように
お前さんはなぁ、今江戸で一番おもしれぇもんを作ってるんだ。そいつを、この日の本の津々浦々まで流すということは、この日の本の人々の心を豊かにすることじゃねぇのか? 耕書堂っていう名にゃ、そういう願いが込められていたんじゃなかったのか?
今回の前半、駿河屋の親父さんが見抜いたように、人気者になった蔦重は「いい気」になっていた節があったのかもしれません。しかし、この須原屋さんの言葉で、おのれの使命をあらためて見つめ直すことになったのです。
世話になった常連客の葬式に、相手が来てほしいというから出向いたその場で、吉原者と同じ席にはつけないとして、雨の中、外の席に座らされた亡八衆。吉原がどれほど蔑まれているのかを思い知らされた蔦重は心を決め、親父様方に日本橋に店を出したいと言い、駿河屋さんに階段から突き落とされてしまいます。ここまでは毎度のお定まり。
しかし、今回の蔦重は突き落とされただけでは終わらなかった。階上の亡八衆をにらみつけ、「吉原者が日本橋に店を出せば誰からも蔑まれることはない」。そう言いながら、一段、一段とゆっくりと階段を上がっていきます。
俺が成り上がりゃ、その証になる。
生まれや育ちなんか、人の値打ちとは関わりねぇ、屁みてぇなもんだって。
それがこの町に育ててもらった拾い子の、一等でけぇ恩返しになりゃしませんか。
そして「俺に賭けてくだせぇ」と頭を下げました。勝ち目を問われて、蔦重があげた人脈、──彼の資産と言ってもいいのでしょう──の、まぁ、何と豊かなこと。ただ一つ、足りないのが「日本橋」という場、なのです。
折しも、鶴屋の前の本屋が売りに出される。…さて蔦重はこの本屋を手に入れることができるのか。
階段落ちといえば
時代は違うものの、この作品が頭をよぎります。そう、つかこうへい『蒲田行進曲』。昭和の映画撮影所を舞台に、大スターの銀ちゃんと、かつてのスター女優・小夏、そして大部屋俳優・スタントマンのヤスの三人を描く、嗜虐と被虐が交差し反転する、つかこうへいらしい物語。
名場面「階段落ち」は、銀ちゃんに押し付けられた小夏の出産費用をひねり出すために、ヤスが引き受けた仕事でした。
ガラスをこするようなカメラのキリキリ回る音。「スタート」という助監督の声。ドンドン雨戸を叩く音に、バリバリと蹴破る音が続く。浅黄色でだんだら模様の着物を着て階段を駆け上がる大男たち。
ヤスは、その大男たちに囲まれ、銀ちゃんに踊り場で胴を払われ、袈裟懸けにされ、「ギャーッ」という叫びとともに血しぶきをあげ、ゴムまりのように階段をころげ落ちて行く。骨はくだかれ、神経は断たれて、あがり框で全身を大きくバウンドさせ、グシャリ
と堅い土間に打ちつけられる。
ヤスの呼吸音を、全身が耳をそばだて、身動きもせずに待つ。
ヤスは、ゆらりと立ち上がり、
「監督、銀ちゃん、かっこよかったですか? 銀ちゃんのいいシーン、撮れました?」
つかこうへい『蒲田行進曲』
自身の骨が砕けてもなお銀ちゃんのシーンの撮れ具合を気にするヤスに、大部屋俳優としての意地と誇りを見ることができます。見下されている存在だからこそ、余計にきりりと、またはすっくと立ち上がる――その姿には、駿河屋の「階段落ち」を何度もくらいながら、そのたびに這い上がってきた吉原の男・蔦重の意地が重なって見えるのです。
吉原を捨てるのじゃない、吉原を背負って蔦重はいざ日本橋へ!
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十七
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十六
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十四
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十三
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十一
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その九
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その八(番外編)
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その八
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その六
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その五
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その四
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その二
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その一
大河ばっか組!
多読で楽しむ「大河ばっか!」は大河ドラマの世界を編集工学の視点で楽しむためのクラブ。物語好きな筆司たちが「組!」になって、大河ドラマの「今」を追いかけます。
お腹の調子が悪ければヨーグルト。善玉菌のカタマリだから。健康診断に行ったら悪玉コレステロールの値が上がっちゃって。…なんて、善玉・悪玉の語源がここにあったのですね、の京伝先生作「心学早染艸(しんがくはやそめくさ)」。で […]
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十六(番外編)
春町が隠れた。制度に追い詰められ命を絶ったその最期は、同時に「泣き笑い」という境地への身振りでもあった。悲しみと滑稽を抱き合わせ、死を個に閉じず共同体へ差し渡す。その余白こそ、日本文学が呼吸を取り戻す原点となった。私た […]
「酷暑」という新しい気象用語が生まれそうな程暑かった夏も終わり、ようやく朝晩、過ごしやすくなり、秋空には鰯雲。それにあわせるかのように、彼らの熱い時もまた終わりに向かっているのでしょうか。あの人が、あの人らしく、舞台を […]
「…違います」「…ものすごく違います」というナレーションが笑いを誘った冒頭。しかし、物事すべてを自分に都合のよいように解釈する人っているものですね。そういう人を「おめでたい」というのですよ、と褌野郎、もとい定信様に言い […]
正しさは人を支える力であると同時に、人を切り捨てる刃にもなる。その矛盾は歴史を通じて繰り返され、社会は欲望と規制の往復のなかで生かされも殺されもしてきた。螺旋するその呼吸をいかに編集し、いかにズラすか――そこにこそ、不 […]
コメント
1~3件/3件
2025-10-02
何の前触れもなく突如、虚空に出現する「月人」たち。その姿は涅槃来迎図を思わせるが、その振る舞いは破壊神そのもの。不定期に現れる、この”使徒襲来”に立ち向かうのは28体の宝石たち…。
『虫と歌』『25時のバカンス』などで目利きのマンガ読みたちをうならせた市川春子が王道バトルもの(?)を描いてみたら、とんでもないことになってしまった!
作者自らが手掛けたホログラム装丁があまりにも美しい。写真ではちょっとわかりにくいか。ぜひ現物を手に取ってほしい。
(市川春子『宝石の国』講談社)
2025-09-30
♀を巡って壮絶バトルを繰り広げるオンブバッタの♂たち。♀のほうは淡々と、リングのマットに成りきっている。
日を追うごとに活気づく昆虫たちの秋季興行は、今この瞬間にも、あらゆる片隅で無数に決行されている。
2025-09-24
初恋はレモンの味と言われるが、パッションフルーツほど魅惑の芳香と酸味は他にはない(と思っている)。極上の恋の味かも。「情熱」的なフルーツだと思いきや、トケイソウの仲間なのに十字架を背負った果物なのだ。謎めきは果肉の構造にも味わいにも現れる。杏仁豆腐の素を果皮に流し込んで果肉をソース代わりに。激旨だ。