べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その二十

2025/05/30(金)21:00
img NESTedit

 初登場・大田南畝先生の着物が蒲焼き柄だったことにお気づきだったでしょうか。狂歌の会のお題「うなぎに寄する恋」にちなんだお召し物でしたが、そんなおしゃれ心に肖りたいものです。
 大河ドラマを遊び尽くそう、歴史が生んだドラマから、さらに新しい物語を生み出そう。そんな心意気の多読アレゴリアのクラブ「大河ばっか!」を率いるナビゲーターの筆司(ひつじ、と読みます)の宮前鉄也と相部礼子がめぇめぇと今週のみどころをお届けします。

 



第20回「寝惚けて候」

 

 寝惚け先生こと大田南畝に『見徳一炊夢』を極上上吉、つまりは最高位に位置づけられたことをきっかけとして、ついには市中の本屋で本を売ることができるようになり、めでたし、めでたし、光輝く蔦重と、家治の後継をめぐり暗闘が続く幕府の闇が対比する回でした。

 

狂歌って?

 

 国語というよりは日本史の教科書に掲載され、歴史を身近なものにしてくれた存在ではないでしょうか。

  • 白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき
  • 世の中に蚊ほどうるさきものはなし 文武といって夜も眠れず
  • 泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず

 

 特に最後の一首は幕末と言えば、のものです。
 では改めて狂歌って? と思って手にとってみたのが小林ふみ子『江戸に狂歌の花咲かす 大田南畝』です。この本の中で狂歌は

テーマに対して何らかの趣向を絡めて、たとえば掛詞を駆使して縁語仕立てにするとか、古歌をもじるとか、純粋に滑稽な発想で臨むとかいうような工夫を施して詠むものだ。

と説明されています。

 

 例えば、蔦重が初めて大田南畝の家を訪ねた時、南畝が詠んだのが

くれ竹の世の人並みに松立てて破れ障子に春は来にけり


 破れ障子、それもところどころ梅の花模様や書き損じらしき紙で補修された障子の向こうからぬっと梅の枝を突き出して詠じた一首ですが、このように解説されています。

春が来るとは、当時の暦でいえば正月を迎えること。竹と松(ここでは門松のこと)の縁語を交え、竹の「節(よ)」と「世」、障子を「貼る」と「春」を掛けて綴る一首。技巧よりも、貧乏くさく破れた障子紙を貼り直しながらも、いちおう、世間並みに門松だけは立てて正月を祝う喜びが命の一首。


小林ふみ子『江戸に狂歌の花咲かす 大田南畝』

 
 さっぱりとした、というと聞こえはよいのですが、どうみても貧乏してそうな家の破れ障子の向こうから、堂々と ─または朗々と声が響いてきた時点で、そのギャップに思わずくすりとしてしまいます。しかし、実は見立てとシソーラスを駆使した、よく練り上げられた作品だったのですね。

 

エアギター? 陸(おか)サーファー??

 

 蔦重と一緒に狂歌の会に出かけたお兄ちゃん、次郎兵衛は南畝先生から「おとものやかまし」という狂名をつけられます。この狂名、よくもここまでという程、ふざけた名前がずらりと並びます。

禿頭の男は「頭光(つむりのひかる)」と自虐に走り、芝の海辺の近くに住んでいた色黒の男は「浜辺黒人」と称し(この人は出家姿でお歯黒をしていたので南畝の『奴凧』によればあだ名は「歯まで黒人」だったとか)、別の色黒の男は渡来人秦氏一族ぶって「秦久呂面(はだのくろつら)」と名のった。くさや好きは「草屋師鰺(くさやのもろあじ)」と名のり、地口(だじゃれ)が得意な奴は「地口有武(じぐちのありたけ)」、山の手住まいの旗本は素人ぶりを謙遜して山辺赤人ならぬ「山手白人(やまのてのしろひと)」。南畝の弟は有名な兄に対して「多田人成(ただのひとなり)」と称し、油屋は公家油小路家めかして「油杜氏錬方(あぶらとうじのねりかた)」といい、気が利かないことを開き直っては「紀束(きのつかぬ)」という者もいた。今や由来もわからないが元木網の初名は「網破損針金(あみのはそんはりがね)」(破損は「朝臣」のもじりだ)、「芋掘仲正(いもほりのなかまさ)」(仲間さ!)なんて名のった人もいる。


小林ふみ子『江戸に狂歌の花咲かす 大田南畝』

 

 狂名を名乗ることによって別の人格になる、それも明らかに「楽しいですよ」「めでたいですよ」という方向性に走りますよ、みんなで、ということを宣言しているように思います。雅号がちょっと気取った別名であるとするなら、狂名は逆にみんなでふざけましょう、と呼びこむような名と言えそうです。
 そういえば、狂歌の会では、朱楽菅江(あけらかんこう)が鰻に寄せて涙に暮れる男ごころを歌ったのだと大まじめに語れば、判者の大田南畝も「鰻はやはりむらむらありたい」とこれまた大まじめに指南をつけます。側で聞いていた蔦重兄弟が笑いをこらえられなかったのに対し、狂歌師たちは誰一人として笑わない。そう、大まじめにふざけることが求められている場だったのです(「柔らかいダイヤモンド」のようですね)。
 なんと、狂名を名乗るだけで仲間入りができたそうです。一昔前なら、陸サーファーのようなものでしょうか。だからこそ、蔦重(狂名:蔦唐丸)も狂歌の会に参加できたのですね。

デザインも洒落で


 ところで冒頭に書いた鰻の蒲焼き柄のお召し物。蔦重に直接、喧嘩を売られてむっとしている鶴屋さんに、無邪気に(しかも、かわいくも)「仲直りしたんですか?」と言ってしまった京伝先生に『小紋雅話』というデザイン集があります。もちろん、「因果あられ」だの「鼻毛絞」だの「お玉杓子」だの模様の名前を聞くだけで遊びココロがいっぱい。その中に「鰻つなぎ」がありました。京伝先生曰く

うらみつらみの地口のやうだ。腎虚した人この切(きれ)を褌にして妙なり


山東京傳『小紋雅話』

 

 …前々回の朋誠堂喜三二先生に送ってあげたいような…。

 


べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十九

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十八

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十七
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十六

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十五

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十四
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十三

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十二(番外編)

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十二

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十一
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その九

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その八(番外編)
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その八

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その七

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その六
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その五
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その四
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その二
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その一

  • 大河ばっか組!

    多読で楽しむ「大河ばっか!」は大河ドラマの世界を編集工学の視点で楽しむためのクラブ。物語好きな筆司たちが「組!」になって、大河ドラマの「今」を追いかけます。

  • べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十七

    お腹の調子が悪ければヨーグルト。善玉菌のカタマリだから。健康診断に行ったら悪玉コレステロールの値が上がっちゃって。…なんて、善玉・悪玉の語源がここにあったのですね、の京伝先生作「心学早染艸(しんがくはやそめくさ)」。で […]

  • べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十六(番外編)

    春町が隠れた。制度に追い詰められ命を絶ったその最期は、同時に「泣き笑い」という境地への身振りでもあった。悲しみと滑稽を抱き合わせ、死を個に閉じず共同体へ差し渡す。その余白こそ、日本文学が呼吸を取り戻す原点となった。私た […]

  • べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十六

    「酷暑」という新しい気象用語が生まれそうな程暑かった夏も終わり、ようやく朝晩、過ごしやすくなり、秋空には鰯雲。それにあわせるかのように、彼らの熱い時もまた終わりに向かっているのでしょうか。あの人が、あの人らしく、舞台を […]

  • べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十五

    「…違います」「…ものすごく違います」というナレーションが笑いを誘った冒頭。しかし、物事すべてを自分に都合のよいように解釈する人っているものですね。そういう人を「おめでたい」というのですよ、と褌野郎、もとい定信様に言い […]

  • べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十四

    正しさは人を支える力であると同時に、人を切り捨てる刃にもなる。その矛盾は歴史を通じて繰り返され、社会は欲望と規制の往復のなかで生かされも殺されもしてきた。螺旋するその呼吸をいかに編集し、いかにズラすか――そこにこそ、不 […]

コメント

1~3件/3件

堀江純一

2025-10-02

何の前触れもなく突如、虚空に出現する「月人」たち。その姿は涅槃来迎図を思わせるが、その振る舞いは破壊神そのもの。不定期に現れる、この”使徒襲来”に立ち向かうのは28体の宝石たち…。
『虫と歌』『25時のバカンス』などで目利きのマンガ読みたちをうならせた市川春子が王道バトルもの(?)を描いてみたら、とんでもないことになってしまった!
作者自らが手掛けたホログラム装丁があまりにも美しい。写真ではちょっとわかりにくいか。ぜひ現物を手に取ってほしい。
(市川春子『宝石の国』講談社)

川邊透

2025-09-30

♀を巡って壮絶バトルを繰り広げるオンブバッタの♂たち。♀のほうは淡々と、リングのマットに成りきっている。
日を追うごとに活気づく昆虫たちの秋季興行は、今この瞬間にも、あらゆる片隅で無数に決行されている。

若林牧子

2025-09-24

初恋はレモンの味と言われるが、パッションフルーツほど魅惑の芳香と酸味は他にはない(と思っている)。極上の恋の味かも。「情熱」的なフルーツだと思いきや、トケイソウの仲間なのに十字架を背負った果物なのだ。謎めきは果肉の構造にも味わいにも現れる。杏仁豆腐の素を果皮に流し込んで果肉をソース代わりに。激旨だ。