何の前触れもなく突如、虚空に出現する「月人」たち。その姿は涅槃来迎図を思わせるが、その振る舞いは破壊神そのもの。不定期に現れる、この”使徒襲来”に立ち向かうのは28体の宝石たち…。
『虫と歌』『25時のバカンス』などで目利きのマンガ読みたちをうならせた市川春子が王道バトルもの(?)を描いてみたら、とんでもないことになってしまった!
作者自らが手掛けたホログラム装丁があまりにも美しい。写真ではちょっとわかりにくいか。ぜひ現物を手に取ってほしい。
(市川春子『宝石の国』講談社)

イシス編集学校 校長・松岡正剛が8月12日に永眠した。
穿たれた空隙のあまりの大きさに立ちすくみそうになる。在りし日の姿を思うにつけ、感傷に攫われそうになる。未知の航路への羅針盤を喪って、ただただ途方に暮れそうになる。校長なら言うだろう。さっさとやりなさいと。校長の不在を機会にしなさいと。
次の一歩を踏み出すために、新たな編集を始めるために、7月2日、校長に最後に会ったときの言葉を綴っておきたい。
これからは新約、大乗の時代だからね。病室を訪れた私の顔を見るなり、ニヤッと笑って開口一番だった。新約聖書の時代、大乗仏教の時代。イエスの没後、パウロによって新約は編集され、ブッダ入寂ののち仏弟子らの手で仏典結集はなった。キリストや釈尊がいかに偉大であっても、あとに続く編集者たちの勇猛果敢がなければ、その面影を伝えることはできなかったであろう。
松岡正剛が遺したものは1850夜に及ぶ千夜千冊、25周年を迎えたイシス編集学校だけでも十分過ぎるくらいある。さらにORIBE、NARASIA、近江ARSの地域プロジェクト。松丸本舗、近畿大学ビブリオシアター、角川武蔵野ミュージアムのブックウェア空間。「遊」時代から現在に及ぶ著作文章群。中途のままになった目次録、図書街、OPERAプロジェクト、編集工学エンジンやインターフェイスの構想。有名無名の松岡正剛を慕う人たちのネットワーク。書や戯画、デザインなどのアートワーク。ディレクションやレジュメなどの膨大なメモ。これらが一人の「松岡正剛」という人間の中に統合されていた。
「創」とは倉に刀を入れることであって、アーカイヴにキズをつけて、編集しないといけないと、常々校長は語っていた。すでに松岡正剛のテキストやレクチャー、アーカイヴは無数にあるわけだから、どう編集するかは私たちに託された。
実はお見舞いといっても、校長のディレクションをもらうための訪問だった。25周年感門之盟の仕立て、多読アレゴリアの準備、伝習座のニュースタイル、ISIS co-missionのこれから。体調も思わしくないなかだから、一言任せたよと言われるかとも思っていたが、事前に渡しておいてもらった4つのペーパーにはぎっしり赤が入っていた。
一つ、感門之盟のタイトルは「25周年番期同門祭」だけ。サブタイトルなしに「25周年番期同門祭」に絞ったということは、校長が今回の感門をイシス編集学校の面々が一挙集う機会にしてもらいたいという強い思いがあったからだろう。
一つ、伝習座は新しい伝統をつくるつもりでやりなさい。それには、編集学校の皆が出入りする姿が外へ飛んでいくように見えてほしいと強調された。
最後に一言、「松岡の欠如を生かす。文学的、映画的手法でオペラチックに演出してもらいたい。よろしく」。
校長の欠如。松岡校長が大事にしていた言葉に「面影」がある。『見立て日本』のラストにも、『日本という方法』のサブタイトルにも「面影」が入っている。松岡校長は本当に面影になってしまったが、私は生前からずっと校長の面影を追いかけながら編集し続けてきたように思う。
千夜千冊エディション『面影日本』の追伸では、「面影とは、大事な「もの」や「人」や「こと」がその場にないのに(いないのに、失っているのに)、それなのに当のイメージが懐かしくも、深くも、さまざまな価値観の選択をともなって浮かんでくることをいう」とある。
そう。面影は「ない」からこそ、いつでも会える、どこでも甦る。「ない」がゆえに近づいても触れられない。だからもっともっと近づきたくなる「未完の編集装置」なのだ。『面影日本』ではこう続く。「たんに思い出に耽っているのではない。ヴァーチャルな面影を追う。そのほうが、リアルなコミュニケーションをしていたときよりずっと本来的になれるということなのだ」。
「みんなは編集学校のこれからを心配しているようだが、僕は全く心配してはいない。すでに陣容は揃っている」。校長が残した手記にはそう記されていた。校長はいつも、どんなことが起こっても、次の編集をいかに興すかに向かっていた。そして、僕らがどんな編集アクションを起こせるか、その一挙手一投足を見ていた。
校長が遺したお題と面影は、永遠の編集エンジンとして、私たちといつも一緒にある。そして、もっとずっと近くになった。こんなあまりにもな大悲劇こそ大チャンスにしろと、校長なら言うだろう。今すぐ編集を始めなさいと、校長が背中を押してくれている。
校長 松岡正剛へのつきない感謝と追慕を込めて 林頭 吉村堅樹
吉村堅樹
僧侶で神父。塾講師でスナックホスト。ガードマンで映画助監督。介護ヘルパーでゲームデバッガー。節操ない転職の果て辿り着いた編集学校。揺らぐことないイシス愛が買われて、2012年から林頭に。
【オツ千ライブ!】本日10/3 22時より『まつりちゃん』をおっかけ!
千夜千冊絶筆篇 1855夜 岩瀬成子『まつりちゃん』をオツ千ライブでおっかけ! 千夜坊主の吉村堅樹と千冊小僧の穂積晴明による「おっかけ千夜千冊ファンクラブ」こと、オツ千!。1855夜 岩瀬成子『まつりちゃん』、オツ千 […]
【オツ千ライブ!】9/25 20時より初のWヘッダー蕪村&ボームをおっかけ!
千夜千冊をおっかけつづけて4年150夜を超えて、初めての二夜をおっかけLIVE開催! 千夜坊主の吉村堅樹と千冊小僧の穂積晴明による「おっかけ千夜千冊ファンクラブ」こと、オツ千!。850夜 与謝蕪村『蕪村全句集』&10 […]
【続報】9/27(土)伝習座 無料生配信! 今福龍太登壇&松岡正剛校話「花綵イシス」
伝へて習はざるか。 千夜千冊996夜 王陽明『伝習録』では、『論語』学而の「伝不習乎」を引いて、「伝習」の意味を説いている。雛鳥が飛び方を学ぶように、人が真似て、何事かに集中していくことが「習」の字には込められている […]
【オツ千ライブ!】9/9 20時より 1854夜 佐藤優『国家論』配信
千夜千冊絶筆篇 1854夜 佐藤優『国家論』をオツ千ライブでおっかけ! 千夜坊主の吉村堅樹と千冊小僧の穂積晴明による「おっかけ千夜千冊ファンクラブ」こと、オツ千!。1854夜 佐藤優『国家論』、オツ千LIVEを9/9 […]
【知の編集工学義疏】第3章 <情報社会と編集技術>のキーワード
今こそ、松岡正剛を反復し、再生する。 それは松岡正剛を再編集することにほかならない。これまでの著作に、新たな補助線を引き、独自の仮説を立てる。 名づけて『知の編集工学義疏』。義とは意見を述べること、疏とは注釈をつけ […]
コメント
1~3件/3件
2025-10-02
何の前触れもなく突如、虚空に出現する「月人」たち。その姿は涅槃来迎図を思わせるが、その振る舞いは破壊神そのもの。不定期に現れる、この”使徒襲来”に立ち向かうのは28体の宝石たち…。
『虫と歌』『25時のバカンス』などで目利きのマンガ読みたちをうならせた市川春子が王道バトルもの(?)を描いてみたら、とんでもないことになってしまった!
作者自らが手掛けたホログラム装丁があまりにも美しい。写真ではちょっとわかりにくいか。ぜひ現物を手に取ってほしい。
(市川春子『宝石の国』講談社)
2025-09-30
♀を巡って壮絶バトルを繰り広げるオンブバッタの♂たち。♀のほうは淡々と、リングのマットに成りきっている。
日を追うごとに活気づく昆虫たちの秋季興行は、今この瞬間にも、あらゆる片隅で無数に決行されている。
2025-09-24
初恋はレモンの味と言われるが、パッションフルーツほど魅惑の芳香と酸味は他にはない(と思っている)。極上の恋の味かも。「情熱」的なフルーツだと思いきや、トケイソウの仲間なのに十字架を背負った果物なのだ。謎めきは果肉の構造にも味わいにも現れる。杏仁豆腐の素を果皮に流し込んで果肉をソース代わりに。激旨だ。