何の前触れもなく突如、虚空に出現する「月人」たち。その姿は涅槃来迎図を思わせるが、その振る舞いは破壊神そのもの。不定期に現れる、この”使徒襲来”に立ち向かうのは28体の宝石たち…。
『虫と歌』『25時のバカンス』などで目利きのマンガ読みたちをうならせた市川春子が王道バトルもの(?)を描いてみたら、とんでもないことになってしまった!
作者自らが手掛けたホログラム装丁があまりにも美しい。写真ではちょっとわかりにくいか。ぜひ現物を手に取ってほしい。
(市川春子『宝石の国』講談社)

品行方正を言いはる「世界」は普遍性を抱え、一方の、好き勝手に走りがちな「世界たち」は個別性を放つ。二つのセカイの出来ばえは、同じようにセカイを相手に何かをあらわしているようでも、別々の特徴を発揮する。別々のロジックや別々の感情で出来ている。
われわれはついついセカイはグローバルな「世界」だけだと想定してしまうけれど、「世界」に屈しない「世界たち」はいくらでもありうるのだ。
『別日本で、いい。』(松岡正剛編著/春秋社)
人の世はいささか住みにくい。ルールが固定化され、拘束された「世界」はとても窮屈だ。イシス編集学校は違う。既存のルールにとらわれず、自由自在に連想し、発想力を高め合うのが「世界たち」だ。子どもだけがもっていた秘密基地のような別世界だ。そのための編集装置が、見たこともない教室名である。
さて、5月に開講した53[守]の「世界たち」はどうだろう。松岡校長がつけてくれた「世界」ではありえない教室名を活かし、別世界をつくれているだろうか。「世界」のありものの言葉だけを飾り、社会化された「わたし」に引き戻されてはいないだろうか。
新しい「わたし」に着替え、教室という新たな「世界たち」をつくる方法は、6月15日の本楼で開催された53[守]第二回伝習座に潜んでいた。伝習座とは指南の方法を伝え習い、編集的世界観に踏み込むためのリアルな場である。校長の「きめる/つたえる」の中にヒントが散りばめられている。
番匠の阿曽祐子が語る。「松岡校長が手掛ける近江ARSでは、「世界たち」の一つである近江からセカイを語りなおしている。そのためには既存の滋賀ではなく、古代近江から連想シソーラスを幾重にも膨らましている」。守の用法4は、「連想シソーラス」という型から入る。シソーラスを広げ、情報を多彩にすることは、既存の見方や言葉からいったん出ていくことである。そこから編集をかけていかなければ「世界たち」へ向かうことはできないのだ。
守稽古のトリを飾る型は「編集八段錦」だ。編集八段錦とは情報がステージングされ、アウトプットに向かうためのプロセスのことをいう。「近江ARSでは編集八段錦のプロセスまるごとを見せている」と阿曽が語る。「世界」のアウトプットの方法は観衆に完成されたものを見せる一方通行のものが多い。しかし松岡校長の方法は近江の「世界たち」が変容していく様相ごと観衆に見せるというのだ。観衆の思考をドギマギさせながら、知らぬ間に観衆も演出に巻き込んでいく。
番匠の景山和浩は言う。「同じように師範代もプロセスごと見せながら学衆と高め合う教室でよいのです」と。言葉を噛み締め、師範代たちが頷く。そして景山は「教室のターゲットはその教室ならのものであり、だれも達したことのないものです。用法4の型を使って世界たちを創り出す深い稽古を目指そう」と力強いメッセージをこめた。
伝習座が終了し、黒膜衆・衣笠純子が呟いた。「わたしは映像を通して松岡正剛の方法を語っていく」。黒膜衆はカメラのフィルターを通し、参加者の表情や声、ノートに文字を走らせる指先、場が変容する様相を逃さない。壇上にあがる登壇者のこわばった顔だって和らげ編集してくれる。人と場が変容していくプロセスまるごとを映す衣笠も、松岡に肖って「世界たち」の演出に一役買っているのだ。
53[守]は「きめる/つたえる」ための用法4に入った。用法4はありものの言葉から脱するためのお題だ。師範代が学衆とともに型を実践していけば、言葉が変容していくダイナミックな稽古体験となるだろう。教室には「世界」とは異なるルールが存在するからだ。他者の回答は覗いてよい、相互に発想力を高めあうというルールだ。ありものの言葉から脱出し、53[守]の言葉の潮流を発生させよう。そして新たな「世界たち」をつくろう。
(文/53[守]師範 紀平尚子、写真/福井千裕)
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2025-10-02
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